パンタナール、その時間と空間    by ひろち  2005年7月


この記事は、「ブラジルニッケイ新聞」のJICAの青年ボランティアのリレー記事として記載されました。

私の任地クイアバから車で二時間くらいのところに、パンタナールという大湿原がある。ブラジル、ボリビア、パラグアイの三国にまたがって存在していて、その大きさは日本の本州とほぼ同じ面積だ。ブラジルに来る前から、「パンタナールはいい所だよ」と言われていたが、その本当の良さは、やはり、訪れてみて初めてわかった。

普段、騒音の激しい街中で生活しているため、鳥のさえずりから始まる一日に、まず心地よさを感じた。耳を澄まして、様々な鳥の声や動物の鳴き声を聞いていると、久しぶりに、耳を使っているという感じがした。

日中になれば、何十匹といるワニは、岸辺で大口を開けながら充電をしている。私たち人間が近づいても、全く恐れる気配はなく、でんと構えている。夕方になれば、牛たちは、夜露をしのぐために、林の中へ悠々と戻っていく。夕焼けを背景に戻っていくその姿とその回りを流れている時間には、ハッとさせられるものがあった。

夜、パンタナール縦断道路を車で走っていると、アリクイが頭を出した。こちらに気がつき、一度は茂みに隠れたが、しばらくするとまた頭を出し、ゆっくりゆっくり車の前を横切っていく。それぞれ自分の時間で動いている。こんな世界があったのだ。

ここでは、すぐ側に何十匹のワニがいても、不思議と怖くない。林の中を歩いていても、恐怖感を感じない。何か余裕のようなものを感じるのだ。

日本にいたら、このような空間を想像することができたであろうか。私にとって動物園の中での動物でしかなかったものたちが、ここでは自由に息をして生きている。アメリカトキコウの大きな翼は、炎天下の中、暑い日差しから雛を守るために、長時間にわたって広げられている。

毛皮が高値で売れるという人間の欲のために絶滅危惧種となっているオオカワウソが、今自分の目の前でピョコピョコと水面から頭を出しながら泳いでいる。夕方になると、十数匹の一大ファミリーで子供の待つ巣穴へ我先にと帰っていくのだ。

自然界という厳しい環境の中で、自然とにじみ出てくる親の子を思う気持ち、家族を思う気持ちが、ここパンタナールに、また新たな優しさをも付け加えているのかもしれない。

この豊かな自然とゆとりのある空間の中で生きている動物、植物、そして人々に出会ったことによって、私の動物的な感覚は研ぎ澄まされ、わずかながら、耳や目が、機能し始めたような気がした。

朝陽と共に目覚め、時計に縛られず自分の時間を過ごす。パンタナールに着いたとき、初めは、有り余る時間で何をしていいかわからなかった。自分がいかに時計に縛られていたかがよくわかった。

しかし、ここで流れる時間に気がついたとき、そこには有り余る時間などなかったのだ。むしろ、今までに気がつかなかったいろいろなことがありすぎて、時間が足りないくらいであった。

自分がこの空間に溶けこみつつあると感じたとき、共に生きるとはこういうことなのかもしれないと思った。皆がそれぞれの時間を大切にして、空間を共有して生きていく。動植物と人間だけでなく、日本とブラジル、世界の国の人々と、この世界で共に生きていく。

私たちは、未来の卵である子供たちに何を残せるのか。このパンタナールの放つ優しいゆとりのある空間を、より多くの人々に味わってもらいたいと思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

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