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ブラジルに住む

ブラジル人と結婚したあなたも、そうでないあなたも、日本とは全く質の違う国、「ブラジル」へ住んでみたい!って思う人は多いのでは?!

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タフでなければ生きていけない  アメ
オレがブラジルに移る前、まだ東京に住んでいたころだが、ごく短い間に南米に7回遊びに行った。そのころはバブル経済の真っ最中で東京は楽観主義に満ち溢れ、証券や銀行では5000万円以下の客は「ゴミ!」と呼んでるらしいなどとまことしやかにささやかれていた。

サラリーマンだったオレは、平気で夏冬それぞれ二週間くらいの休暇をとっていた。オレが仕事をしていた会社は典型的な「東京の会社」で、社長も幹部も先輩も後輩も東京出身が圧倒的に多かった。社内報で社長と部長が「江戸っ子論争」をするような雰囲気があった。とてもリベラルで束縛感のない自由な雰囲気の会社だったのだ。オレはバブル経済とリベラルな職場の雰囲気にワルノリし、クリスマスの前からなんと18日間ストレートで休暇をとって、高校の友人二人とアマゾンに釣りに出かけた。オレのBOSSはオレの休暇とほぼ平行してフランスに遊びに出かけていたから、いまの日本ではとても信じられないような時代だったとつくづく思う。

さて釣りの目的地は、アマゾンの大支流のひとつアラグアイア河だった。今住んでいる町ゴイアニア市までサンパウロ経由飛行機で行き、そこからチャーターした寝台バスでアラグアイア河沿いの小さな街、サンミゲルまでいった。そこから「バナナ島」というこれはスゴイ釣り場に行ったのだ。

ゴイアニア市からサンミゲル町までの約400キロの道中が、オレには楽しかった。見るもの聞くもの、当時仕事でいっていたアジアの町とは雰囲気が違う。大国らしくノンビリしていて、開放的な感じだった。

道中何回か、バスは小さな町に停まった。そこでオレたちは、スーパーによってお菓子を買ったり、釣り船に積み込む食料を買い足したりしたのだった。ゴイアニアを出てから最初に停まった町のスーパーで、といっても田舎のナンデモ屋といった雰囲気のスーパーなのだが、そこで買い物をしたとき、オレはレジでまだ慣れていないブラジルのお札を出した。するとレジのオンナの子がお釣りを渡しながらオレに

「ナントカ、ナントカ ネ!」

といってニッコリ笑った。そして一掴みのアメを広口ビンから掴んでおれの手のひらに握らせてくれたのだ。オレはその瞬間それが何のことだかわからなかった。スーパーを出てバスに乗ったあと、オレは「アメ」について考えた。

−これはひょっとすると、ひょっとするとぅ

オレのことが気に入って好意し示すためにくれたのかもしれない!!!!
でもでもぉ〜 そんなことはぁ〜 いやぁヤッパリ
いやぁ、そうかぁ そうだよなぁ〜
ウキウキしているオレを乗せたバスは快調に走っている。

しばらくしてバスはまた小さな街で停まった。そこでオレは、タバコなどを買い込んだ。レジで金を払うとなんとまたレジの若いネーチャンが

「なんとかかんとか ネ!」

といいながらお釣りのお札と一緒にアメを一握りニッコリ笑ってオレに握らせてくれたのだ。

オレは確信した。そうかぁ、そうだったのかぁ、いあや参ったなー。
同行している高校の友達は別のレジだでなにか買っていたがアメなんかもらっていない。オレはニマニマ、デレデレになってまたバスに乗った。バスの中で友人にもらったアメを優越感に浸りながら配ってやった。

「これレジのオンナの子がまたくれたんだよね、なにキミタチもらっていないの、しょうがないね、、まぁゆっくりアメでもナメなさい」

しかしオレってそんなイイ男だったのかぁ、日本のオンナはまったくわかっていないな〜、オトコの価値が。ブラジルのオンナはよくわかってオル。

やがてBUSはアラグアイア河のほとりについた。船に荷物をつみ終えたときに、同行の日系ガイドにアメを差し出した。

「コレ、立ち寄った街のスーパーでオンナの子がくれたんだけど、しかも二人のオンナのコがネ。なんかいいながらくれたの。」とオレ

ガイドは黙って聞いている。

「いやぁまいりましたよ。コンナものモラッてもしょうがないんだよね〜。いくら彼女たちに親切にされてもオレ、なにもしてあげられないしぃー」

ガイドはまだ黙っている。

「しかしブラジルの娘はイイですねぇ 気持ちをストレートに出すんだねぇ」

オレはニヤケながら今から考えると信じられないようなことをわめいていたのだ。

やがてガイドが言いにくそうに、申し訳ないといった感じでオレにこういったのだ。

「XXさん、そのアメは店に小銭が足りないんで、その代わりのオツリです。よく少なめに渡すヤツがいるんです」

「おつりの代わりに安いアメ渡して儲ける仕組み」
「彼女たちがアンタに言っていたのは、【お釣りが足りないんでアメでいいでしょっ】なんですね」

エッ なにオツリ、アメはただのオツリ?! しかも本来もらうオツリより少なめ?
デレデレにやけていたオレは一挙に10000メートルくらい急降下した。
オレはココロのなかで泣き叫んだ。屈辱と恥ずかしさで身体がカッと熱くなった。

「くそぅ くそぅ オレが馬鹿だった、オレがぁークソッ クソゥ 恥かかせやがってぇ
ブラジルオンナのヤローーーーー」

それから何年かたったある年。オレはすでにブラジルに住んでいた。熱帯魚の王様の「ディスカス探索国際隊」を組織してアマゾンに探検に出かけた。そして、アマゾン中流の街に立ち寄って食料など買い込み船に積み込む作業をした。そのとき、仕込みをしていたスーパーでオーストリアの隊員がレジで何か買っていた。

オレは見た、レジのオンナのコがお釣りの代わりにアメを一掴みこの隊員に渡すのを!

その隊員はウィーンの生まれらしかったが、およそ神聖ローマ帝国の都から来たとは思えない。190CMくらいあるムクツケキ大男で、我々は彼を「赤鬼」と呼んでいた。彼はそのアメをもらってキョトンとしていたが、そのうちデレデレニヤケてきた。その様子をじっと見ているオレに気づき、こう聞いてきた。

「ねぇ隊長、なんか今、レジのオンナのコからアメもらっちゃったんだけど」

ただでせさえムサ苦しい赤鬼フェイスがニヤケで余計鬱陶しくなっている。

「コレッてなにか意味があるんですかねぇ〜隊長」

オレは静かな微笑を浮かべながら彼に厳かに答えた。

「それはそのオンナのコがアンタに好意をもっているからだよ、うらやましいねぇ、さすが神聖ローマ帝国のオトコはモテますねぇ」

赤鬼は本気にしてますますデレデレしている。
オレはココロのなかでつぶやいた。
「バカメッ、オメーがモテルわけねぇだろう テメーの顔をトイレでじっくり見てみろっ!」

でもあの時のオレの顔はウィーンのヤローの顔とマッタク同じだったのに違いない。
クソッー

−−−−ブラジルのアメは甘い。でもアマくない!!−−−−

by フェリックス 2006年7月


タフでなければ生きていけない  海外安全情報
オレのところには日本からダチや知り合いがよく来るのだが、その前にブラジルについて色々な質問をされる。まぁ地球の裏側だし、半裸のオトコとオンナが一日中サンバで踊り狂っているという程度のイメージしかもっていないヤツが多いから、真面目に答えてやっている。ヒドイやつになると The Amazon Touch のヤローどもは、アマゾン河とパンタナル湿原の水辺に掘っ立小屋建てて住んでいて、投網で魚を取ったり、カピバラかなんかをとっ捕まえて喰って、みなで自給自足の生活をしていると想像したりしているから油断がならない。

質問のなかで圧倒的に多いのが

「サンパウロは超アブナイと聞いているが大丈夫か」

「リオに寄りたいのだがオソロシイと聞いている、大丈夫か」

「サンパウロに夜つくのだが、ホテルまでの道中が心配で心配で」

「リオは夜八時以降は外出しないほうがいいと言われたがどうしたらいいか」

の類だ。

ただでさえよく知らないブラジルの、治安ではとくに評判の悪いサンパウロとリオデジャネイロについてシンパイでシンパイでしょうがないらしいのだ。オレは日本のテレビで、リオやSPの殺人強盗誘拐警察対悪党監獄占拠武装鎮圧街焼討等々の映像が流れているせいなのだろうと思っていた。いちいちクドクド説明するのもめんどくさいので最近は

「オウ 危ない、来るのは中止したほうがいい、リオデジャネイロのかわりに箱根か熱海に行くのがいいだろう」

とか

「サンパウロでは少なくとも防弾チョッキと機動隊のメットは用意しておいたほうがいい、バズーカも揃えろ。これでもう安心だ。ホテルからは夕方5時以降は一歩も出るな、夕食は日本から乾パンなど持参したほうがいい」

と答える事にしている。

オレはリオ、サンパウロには数え切れないほど行っている。
モチロン、午前零時前にホテルに戻ることはまずないし、夜九時前にレストランに出かける事もない。華やかな南米を代表する都市、リオとサンパウロが花開くのは夜の九時以降に決まっているではないか。リオとサンパウロほど夜が楽しい街も少ないのだ。

リオとサンパウロの夜は南米トップのエンターテイメントワールドなのだ。

そのうちオレはリオ、SPについて心配そうに聞いてくる人たちに共通する事実に気がついた。オレはそれまで「ブラジルは治安の悪いところ」というイメージは日本のテレビでしばしば流れる、SPやリオについての犯罪関係のニュースのイメージによるものと思っていた。ところが、どうもそれだけではないらしいのだ。ブラジルに来たい多くの人が、インターネットで外務省の「海外安全情報」を見ていて、それでリオとサンパウロにビビリまくるらしいのだ。これを見るとリオ、サンパウロはもう無法地帯のように読める。

ビビリやすい日本人がみたら、もう心配になるのは容易に想像がつく。
そうか、最近はインターネットでの「海外安全情報」が標準情報ソースになっているのか。

しかし、アレだけ治安にビビる日本人がどうして海外でこうも無防備な雰囲気を全身に漂わせているのかーオレにとっての日本人7不思議のひとつだ。

さて3年ほど前、オレはブラジル北東部の大都市フォルタレーザの空港でリオ経由ゴイアニア行きの飛行機を待っていた。おなじ待合室にボロいTシャツにサンダル、頭にバンダナを巻いた30くらいのオトコが同じ飛行機を待っているのに気がついた。一瞬で日本人とわかった。中国人、韓国人はボロTシャツ、サンダル、バンダナというスタイルでは飛行機には乗らない。とはいえ、言葉を交わすわけでなく時間が過ぎていった。そのときは飛行機が大幅に遅れて出発、リオに着いたときは、すでに深夜零時を回っていた。

客は当然VARIGに交渉し、リオに泊まる手配をさせた。もう乗り継ぎ便は出払っていて、その夜はリオに泊まるしかないのだ。その交渉で、リオのガレオン空港でVARIGの職員とガタガタやり取りをしていると、先ほどの日本人らしきムサイオトコがオレに声をかけてきた。ポル語がわからないという。彼はクリチバかどこかに行く途中で、乗り継ぎ便がなくなり、リオに泊まるしかないという、まぁオレと同じ状況だったのだ。聞くと、 中米某国に2年の任期で日本政府のナントカという機構の派遣で来ていて、今は休みを取ってブラジルに来ていると言う。

オレはこのオトコの分のホテルも交渉した。
VARIGは「空港近くのホテルにするか、それともコパカバーナのホテルにするか?」と聞いてきた。コパに泊まっても明日はTAXIを迎えによこすという。コパガバーナのホテルがいいに決まっている。コパにはレストランもバーもナイトクラブも何でもあるのだ。空港の周りには何もない。


さて、オレはこのオトコも当然コパのホテルに泊まりたいのだろうと思い、
「コパのホテルでいいな」
と聞いた。なにしろあご足つきのタダなのだ。

しかし、答えは意外なものだった

オトコ「空港の近くのホテルにしてください」

オレ「空港近くのホテルなどなにもない、明日も午後便でいくならコパが楽しいと思うがー」

オトコ「リオは危ないアブナイといわれていてー」

オレ「オレはコパのホテルにした、チェックインのあと街で一緒にビールでも飲むか、メシもろくに喰っていないし」

オトコ「海外安全情報をみてもリオはめちゃくちゃ危険と書いてあるし、いま住んでいる国の友人からもリオは危ないアブナイといわれてます、ボクーホテルに籠もっていますぅ〜」

オレはちょと驚いた。カレは少なくとも中米に一年以上住んでいるのでないのかー

オレはなにか馬鹿馬鹿しくなってこう答えた。
「そうダナ、その通りだ、夜はこのまま、冷蔵庫のピーナツでも食べて寝たほうがいい」

オレはVARIG手配のTAXIに一人でのり、夜のリオをコパカバーナのホテルに向かった。車の中でオトコがオレに言っていたことを考えてたいた。このオトコは、今いる国での任期が終わったら、個人でそこに残りそこで仕事を見つけて住み続けたいらしい。任期が終わったら、日本国のプロテクトは完全にはずされ大企業の庇護もない。そして南米という闘技場にグラディエーターとして、たった一人で出て行かなければならない。ありとあらゆる障害がまっている闘技場にだ。

−あのオトコ、中南米で一人でサバイバルできるのだろうか−−

やがてTAXIは、コパのホテルに到着し問題なくチェックインした。もう深夜1時を回っている。部屋でタバコを一本吸った後、ポケットにいくばくかのカネを突っ込んだオレは深夜のリオに一人で繰り出したのだった。

−− リオ、サンパウロの治安はイマイチだ、でもパウリスタとカリオカは夜遊ぶ−−

by フェリックス 2006年8月


タフでなければ生きていけない  緊張感
オレは20代のころから海外にはいろいろ出かけたが、住んだのは日本以外ではブラジルだけだ。この間ネットの海をあちこち漂っているうちに、海外留学している学生のブログで「人種差別体験」について書いてあるものをたまたま見つけた。それからコレ関係のサイトをあちこち読んでみた。

結構いろいろな体験談があって、その殆どがアメリカ、フランスとイギリスの欧州、オーストラリア、ニュージーランド。当然のことながら白人国家、もしくは白人中心国家でのネタが圧倒的だ。

面白かったのはワード検索していたら

「ニュージーランドとオーストラリアは人種差別の少ない国として世界に知られています、留学先に最適です。Happy オージーライフ!」

などという留学斡旋の宣伝のすぐ下に

「オーストラリア留学で一番ショックだったのは人種差別でした」

とか

「ニュージーランドで子供からもモノを投げつけれられた体験談」

とか

「質問 オースト、NZは人種差別が少ないと聞いていますが本当ですか?回答 モチロン人種差別はあります。それは覚悟してください」

などがずらりと並んでいたことだ。

オレ自身についていえば、数回経験している。オランダとアメリカ、イギリス。オーダーを取りに来なかったとかその類の人種差別の「入門レベル」のものだ。単なる旅行者だったからだろう。そこに住むとなるとその先にいろいろ待っているだろうことは容易に想像できた。

さて、ブラジルだ。この地にもう10年以上住んでいるのだが、その種の経験は殆どない。アメリカと同じように多民族国家のブラジルだが、社会階層をみると、この国は白人中心国家とも言えないこともない。でも、少なくともオレの日常生活のなかでどの社会階層のブラジル人と接しても、日本人に対する接し方に基本的な違いは感じられない。

そこを考えると日本人が「白人中心社会」の外国のなかで、ブラジルほどここちよく住めるところも珍しい。この国では、東洋人を見ると反射的にまず「日本人」と思う世界でも珍しい国らしい。もしかしたらそれは、唯一ブラジルだけかもしれない。一般的に東洋人はまず「中国人」とイメージされる。ブラジルでは東洋系移民の中で日本移民の移住が早く、人口も日本人が圧倒的に多かった。だからブラジル人は、東洋人を見ると反射的に「日本人、日系人」を連想するらしいのだ。

そのブラジル人の持つ日本人に対するイメージはかなりいい。あるブラジルの新聞の調査で「ブラジル人はどこの国にもっとも親しみを感じるか」とのアンケートをした。トップが「日本」だった。それをブラジル人の友人が、うれしくて仕方がないといった風情で何度も何度もオレに話したのを覚えている。

この日本人に対するイメージは、日本移民が築いてきたものに違いない。ナマイキなオレもこの点で我等が先達に深く感謝した。

さて、ブラジルに住みはじめて何年か過ぎたころ、オレは自分の精神が弛緩しているように感じていた。そこそこ仕事も軌道に乗り、生活も安定してきたころだ。生活は完全にパターン化していた。精神の弛緩がマズイと思っていたオレは、「なにか刺激がほしい、刺激がほしい」と思うのだが、100万都市とはいえ、田舎のゴイアニアではそんなものはどこにも転がっていない。アマゾンやリオ、サンパウロにも出かけるのだが、弛緩している精神に変化がない。

することのないオレは、そのころ出てきたインターネットで時間を潰すようになった。そして海外に住んでいる日本人たちのHPやBBSを盛んに見ていた。どのような生活なのか興味があったのだ。そしてその中には多くの「人種差別との戦い」が記されていた。欧米でのものが殆どだった。

オレはそのとき何故か奇妙な感覚を持ったのだ。それが正しかろうとそうでなかろうと、事実そう思ったのだ。それは、彼ら海外で暮らす日本人に対する同情とか、大変だなぁとか人種差別への憎しみではなかった。それは、個人的なものだったのだ。

「ここには人種的緊張感がない、弛緩したオレの精神に必要なのはコレダッ」

考えてみれば文化の差のゴタゴタはあるが、ブラジルに来てから人種的な緊張感というものをオレは殆ど感じたことがないのだ。もしかしたらタイやフィリピンの方があったかもしれない。アパートを借りようとすると喜んですぐ貸してくれ、タバコ屋でタバコを買おうとして大きな札をだすと

「釣りがないので次のときでいい」

とよく知りもしない店のオヤジに言われ、

肉屋で肉を買うと金髪の美少女に

「どこから来たの?日本?ステキ!」

とニッコリ笑って言われ

自動車を修理してその出来具合に文句をつけると

「ここは技術大国ニッポンではないんだ、ブラジルなんだ。我慢してくれ」

と予想外の弁解をうけ

テレビを見ると「ニッポンの先端技術」とか「日本の伝統」とかの恥ずかしくなるような肯定的なイメージが流れている。サンパウロにでると「日本は安全でいいなぁ、どうしたらそうなれなれるのか」と聞かれたりした。

オレは人種的緊張感を感じないブラジルで、やさしいブラジル人に囲まれてすっかり精神が弛緩していたのに違いないと思いこんだのだった。

ところで、そのころオレは日本に一時帰国する機会があった。仕事がらみ途中にロサンゼルスに寄ることになった。ロスの空港で通関に引っかかった。横柄な係官が「トランクを開けろ」という。あけて調べた後、アゴを出口の方向にシャクリ「あっちへイケ」と言う。空港を出てタクシーを捜した。タクシーに乗ると、ドライバーとの間には厚いプラスチックの仕切りがあった。仕切りにあいた小さな窓から白人の運転手が「どこだ」と聞いてくる。空港近くのホテルの名前をつげるとこれまた横柄な態度で「降りろ、バスでいけ」と聞き取りにくい英語でいい、何の余韻もなくサッサと行ってしまった。ホテルの巡回バスに乗れということらしい。そのバスに乗ってホテルに着いた。ポーターが白人の客のバゲッジをさっさとフロントに持って行き、オレだけがトランクと一緒に玄関に取り残された。ポーターは二度と戻ってこない。

オレはそのときブラジルで弛緩していた精神が完全に緊張状態にあるのに気が付いた。
そして重いトランクを運びながら

「そうだ、コレだ、コレでいい」

とつぶやいていた。

−−− ブラジルは日本人に心地のいい国だ でもダレでしまうかもしれない −−−

by フェリックス 2006年9月


タフでなければ生きていけない  トイレ関係との戦い 1
オレがブラジルに来た頃にホントに参ったことがある。それは「トイレ・風呂関係」ともいうべきカテゴリーで、文化の違いとか習慣とかの違いよりはるかに「ショック」だった。

文化の違いは想像できたし東南アジアとそれほどかわらない。喜怒哀楽のソースは、日本人もブラジル人も同じでまぁガタガタ騒ぐこともなかった。

周りをブラジル人の共同経営者や秘書で固め、しっかりした女中に家を守ってもらい、文化の差によるストレスは「毒をもって毒を制す」作戦で臨んだ。

オレの日常生活や仕事を進める上で日伯文化差が原因で起きた問題は、個人的なことでも彼らに”丸投げ”し、オレに降りかかるストレスを分散した。オレが注力したのは共同経営者から秘書、女中にいたるまでの人選と彼らに対する給料の保証、それと、たとえそれが幻影あっても”将来への展望”の提示である。それと引き替えに、ブラジルで生じるストレスからの”防衛”をオレは彼らに強く望み繰り返し要求した。

この作戦はうまく機能し、彼らは”細かいさまざまな文化ストレス”からオレをを守る親衛隊と化していった。

おかげでオレのブラジルでの生活の出だしはかなりスムースだった。アパートを借りるのも、車を買うのも、会社の設立の手続きも、朝食も昼食も、コーヒーを入れるのも、一人暮らしのときはスーパーの買い物も
電話を引くのも、いろいろな登録も、税務申告も自動車事故の処理も、すべて彼らに肩代わりしてもらい、OKでストレスは極小だった。

オレは一人悦に入り、朝事務所で秘書のオンナにサンドイッチなど作らせて、それをほおばりながら

「ウヒャ ウヒャ ウヒャーーーうまくいったワイ」

とアホ丸出し状態だったのに違いない。この先にオレの想像を超えた「電撃的ストレス」が待ち構えていようとは夢想だにせず猫など抱きながらイスにふんぞり返っていたのだ。

さて、某日オレは所用でサンパウロに出かけ、ブラジル人の友人の家に泊まった。仕事も終わりこの家のサラと呼ばれるリビングでくつろいでいると

友人が

「食事の前にシャワーでも浴びてきたら」

と勧めてくれる。

オレは言われるままにこの家のバスルームというか小さなシャワールームに入った。コックをひねると頭上から温水が出てきた。ブラジルのシャワーの多くはシャワーヘッドにニクロム線が通してあって、水がここを通るときに暖めるという原始的なものがほとんどだ。この家のシャワーももちろんそのタイプだ。オレはちょっと水が熱いなと思って濡れた手で水量調節のコックをモロつかみ水量を減らそうとした。

その一瞬

「バチバチバチバチーグリグギャアアゥ」ーーーーーーーー

全身に電撃的ショックを受けたオレは戦闘勝利後のハイランダー状態になった。オレは5秒くらい電撃的ショックに見舞われ、崇高な神の啓示を受けたような真空状態になっていた。

気がついてみると、オレは温水がでっぱなしになっているシャワーの下にモウロウとして立ち尽くしていた。やがて正気に戻ったオレは何が起きたか理解した。

ニクロム線に通る電気が漏電しコックの金属のニギリにモロ通電していたのだ。濡れた手でそれをモロつかんだ俺は、理科で習った理論どおり感電したのだった。

オレはぐったりしていた。ショックで思考停止状態だ。頭のシャンプーも落とす気力もない。変に体を動かせばコックに触れまた「電撃的ショック」を受けるかもしれない。温水は出続けている。

「とにかくシャワーを止めなければマズイ」

気持ちのアセリとショックでオレは第二の間違いを犯した。そばにあったタオルをノロノロとつかみ、またシャワーのコックをそのタオルを手に巻いて閉めようとしたのだ。

そのトタン

「ゴッ ゴッギーーーン」

またハイランダー状態となってしまった。タオルが濡れていて、オレはまたまた理論どおりモロに感電したのだった。

這うようにしてリビングに戻ったオレをみて友人が心配そうに声をかけた

「どうした、どうしたんだっ!」

「アレ アレアレアレ シャワー 感電ッ」

友人が”なーんだ”という顔をして

「アレか ブラジルではCHOQUE ショッキというんだ、ブラジルでは日常茶飯事だ」

「お前ら一族は毎日感電しながらシャワーを浴びているのか?」

「バカ、乾いたタオルを手に巻いてひねればいいんだ、われら一族はみなそうしている」

あまりのバカバカしい回答に、オレはもはや精神を支えることができず完全に崩れ落ちた。

しかしオレが洗礼を受けたサンパウロ州の「電撃的ショック」は110Vに過ぎなかった。

オレが住むゴイアス州は、その倍の220Vという超高性能で羊のような弱気なオレを待ち構えていたのだ。

− 続く −

by フェリックス 2006年9月


タフでなければ生きていけない  トイレ関係との戦い 2
オレはその後、このChoqueとよばれる電気ショックに処女のように慎重になった。

最初のサンパウロでの「シャワーの通電ショック」はオレの脳髄に直に焼きこまれ、肉体的トラウマとして深く記憶された。ゴイアニアに戻ってからもシャワーには疑い深くなり、アパートを借りるときはまずシャワー室
の「通電状態」を徹底的にチェックした。この慎重な調査により、オレのアパートでも事務所でもいくつもの
”電撃ショック確定大漏電状態”のワナを発見した。オレはできる限りの対処をし悲劇を回避してきた。

ある時は、シャワーのコックに発砲スチロールをまきつけガムテープでグルグル巻きし、洗濯機にはブラジルであまり普及しているとはいえないアースを取り付け、電気屋のオヤジを呼んで配線を改良したり、かなりのエネルギーと資金を投入したのだ。

なにしろ我らがゴイアニア市は220Vの高電圧である。このショックをモロにうけたら、そのショックはきっと「神の啓示」とか「法悦」レベルであるに違いないと確信していた。

従業員や秘書に事前に「漏電確認試験」を頼み込んだことこともある。彼らは何度か運悪くワナにはまり一瞬アゴをのけぞらせながら「神の啓示」を受けその恩寵に浴していた。

意外なワナはコンピューターにあった。デスクトップPCのタワーBOXの側面の板がヤバイ。このPCの即板がしばしば巨大な”電極”と化している事実にオレは気が付いたのだ。というのは、ある日事務所に友人のFがPCを修理に来ていて、修理中に「グエッ」とか「ギャッ」とか「イヒーッ」などの奇声をなんども発し、ローマ法王をはるかにしのぐ啓示を受けて法悦にひたっているのを見たからだ。そして、オレの仕事が「ブラジルでPCを修理する」仕事ではないことを心から神に感謝したものだ。

さて「凶悪220Vの電撃ショック」に対して猫のように慎重になっていたオレも、完全にそれを回避することができなかったー ことを告白しなければならない。

何故回避できなかったかー今から考えても結論は出ない。

多分その「意表をつく攻撃」と「気のユルミ」が原因だったのだろう。

オレの東京時代の仲間が2人アマゾン釣りに日本からやってきた時のことだ。オレはアマゾン案内人として張り切っていた。その時に行ったのは、アマゾンといっても本流ではない。ゴイアニアから車で半日くらいのところにあるアラグアイア河近くのサンミゲル市に一泊し、バナナアイランドといわれる素晴らしい釣り場に船で行く算段だったのだ。そして1日目、サンミゲル市のポーザーダとよばれる民宿のようなところに泊まった。

ウキウキ気分のオレタチは楽しくて、日本の事など語らいながら道中を好調に過ごしていた。ホテルで荷物をといた後、まずオレがシャワー室にはいった。シャワーヘッドはニクロム線タイプ。オレは慎重にシャワーの握りに小指でタッチし通電試験をした。問題ない。熱いシャワーを浴びいい気分で頭を洗い、背中をこすり、
オレの洗浄行為はフィニッシュに近づき足のパートに移行しつつあった。すべてがスムーズだった。オレは足の下の方を洗おうと思い片足を上げ、石鹸をそこに塗ろうとした。しゃがむ姿勢で手を足に近づければよかったのだが、不精なオレは足を上半身に近づけようとして片足状態になったのだ。

一瞬身体のバランスが崩れ、オレは本能的につかむものを探した。そしてそれは目の前にあったのだ。

シャワーヘッドとコックを結ぶ鉄のパイプ。

オレはなんの疑いもなくしっかり濡れた片手でそのパイプを力強く握り締めた。

その瞬間、オレは宇宙の神秘というか無限に広がる銀河系を見たように思う。輝く星座の一群を。その時オレの頭の中でなっていたサウンドはDeep Purpleの「ハイウエィスター」のような気もするしワーグナーの「マイスタージンガー」だったかもしれない。「ツァラツストラはかくか語りき」の可能性もある。

オレはシャワーを終え、部屋に戻り「電撃ショック」について友人に明確に伝えた−。しかし、大文明国から来た彼らはその意味をカラダでは理解はしていない。そしてしばらくして、ベッドにグッタリと横たわりながら朦朧としているオレの耳に「グエッ」「ギョエッ〜〜〜」という叫びが聞こえてきた。

==ブラジルは最高に楽しい場所だ。間違いない。もし”電撃的ショック”がなければ====

by フェリックス 2006年10月


タフでなければ生きていけない  ロッキーのアニキ
オレが学生時代、大いに流行った映画に「ROCKY」がある。あのスタローンの出世作だ。ボクシングのスポーツ根性モノでその後、シリーズとなり何作も作られた。そして、他のシリーズモノと同様ロッキーも第一作を超えられなかった。ちょうどクラブ合宿で信州の高原に出かけたとき、まさにこのROCKY第一作が大ヒット中で長野出身の仲間のごときは興奮して「ロッキー、ロッキーィィィ」と狂ったように叫びながら高原の土手を駆け上っていた。

ロッキーが公開されたころは”キョーヨー”なるものがまだ世間的に価値のあるものと認められていた最後の時代だ。サテンにナカマがあつまり映画の話になると

「オレはベイルマンが好きだ、神への背徳がニーチェに通低している」

とか

「いやヴィスコンンティがいい、”家族”の肖像はだめだ”山猫”を超えていない」

とかの会話が横行しておりオレも

「いや何と言ってもフェデリコフェリーニだ、”サテリコン”を見てから映画を語ってもらいたい」

などと無理をしていた。

実のところ飯田橋のボロ映画館で授業をさぼってサテリコンを見に行き、あまりに退屈で寝てしまった。起きたらそこにはオレ一人しかいなかったのだった。オレがその頃ホントに好きだった映画は「ジョーズ」と「ダーティーハリー」と「エクソシスト」、そしてこの「ロッキー」である。

ロッキーはその後テレビやビデオで何度も見たが一箇所、妙に気にかかるシーンがあった。だがその時、そのシーンがオレにとってのラテン文化理解のカギになるとは考えてもいなかった。

さてブラジルだ。オレに最も近い日本のオンナがある時ブラジル人の仲のいい友人のE女の経営するサロンつまり美容院に行ったときのエピソードだ。彼女はその頃まだブラジル語がほんの少ししかしゃべれなかったのだが、それでも同じアパートに友達ができて、食事に呼ばれたり呼んだりだりする仲になっていた。そしてごく自然に、そのブラジル人のダチであるE女の経営する美容院に出入りするようになった。

ある日そこでマニュキュアをしていると壁に「いまマニキュア値引き中、通常600円を今なら400円」と紙に書いて貼ってあるのに気がついた。ポル語をうまくしゃべれなくても支払いに敏感なオンナ族である。その程度のことは瞬時に理解する。そしてマニュキュアをしながらキャッシャーに座っているE女ととりとめのない話をし、やがて支払いに行った。するとその請求は600円であった。E女はオーナである。間違えるわけがない、それもダチへの請求に。

このハナシをきいたとき彼女は相当怒っていた。

「トモダチにそんなことをするなんて信じられない!!、ブラジル人ってそんななの!!」

この日本人のオンナはこのE女との共通のブラジル人の友人にもこのハナシをしたらしい。

「アラ E女はそんなことしたの。だめねぇー。そこがブラジル人のダメところなのよねー」

とそのブラジル人の友達は一応同情してくれたらしい。でもそのノリは軽く「きのう庭で水をまいていたら蚊に刺されてねぇー」というのと同じレベルだったらしい。

さてその後、この日本人のオンナがアパートの契約の更新をすることになった。更新でだまされるのもいやだし、よくわからないしで、この美容院のE女に相談した。ただ相談しただけだ。するとこのE女

「これはアンタにやらせることはできない。日本人だと思ってブッタクル可能性が十分ある。アタシが全部やるからマカシトキッ」

とすごい勢いだったらしい。そしてE女は契約更新の日、美容院の仕事をほったらかしで単身不動産屋に乗り込み数時間の後帰ってきた。そして破顔一笑、

「この書類にサインして、全部OK、いい条件を引き出したからネ アンタ」

そしてそのあと、その不動産屋にこの日本人のオンナが家賃の支払いに行った時、そこのオヤジから直接聞いた。「この間きたアンタの代理人のあのE女、ヒッデーオンナだなありゃ、おれにイキナリこう言ったんだ」

”あの日本人のオンナはアタシのマブダチなんだからねッ、アクドイことするでないよ、なんかしたら訴えてやるからね”

「もう十年オレが若かったらあのバカE女と大乱闘だったはずだ」

その契約条件はほかの同じアパートのブラジル人の住民より良いくらいだったらしい。

さて今度はロッキーだ。
このE女のエピソードを聞いたとき、オレは長年のロッキーのあるシーンについての小さな疑問がとけたような気がしたのだ。

無名の田舎ボクサーロッキーがヘビー級の偉大なチャンピオン アポロのきまぐれから、挑戦者に指名される。ロッキーとその家族友人たちは沸き立つ。無名のロッキーも一夜にして町の有名人になる。タリアシャイア扮する恋人のエイドリアンも全身全霊で彼を励ます。勝てるわけのない試合に挑むロッキーとそのまわりの人間模様ー

ここで登場するのがロッキーのアニキだ。正確に言えば恋人エイドリアンの実の兄。禿げ上がっていて小男で太っていてサエナイ中年。せこそうで抜け目のない男に描かれているがちょっと人がいいようにも見える。

ロッキーが有名になったのを利用してこのアニキが金儲けをたくらむ。ロッキーの名前を無断借用して商売につなげる。自分の実の兄が恋人のロッキーを利用して小銭カセギしているのを見て腹を立てるエイドリアン。しかしロッキーはその事実を知りながらもこの恋人のセコイ兄を許すのだ。

「まぁいいじゃないかエイドリアン」ー

そして試合当日 このセコイアニキは打って変わってロッキーのために全身全霊で、100%完璧に、一切の私欲なく、怒りと叫びと涙で彼を応援しそしてその勝利を願うのだった。

オレがこのシーンで気にかかっていたことは、

「果たして親しい友人を、それも妹の恋人であるロッキーをコゼニのために利用するようなやつが本気でロッキーを全身全霊で応援できるものだろうか」

そして

「オレがロッキーだったらこんなセコイヤツはダチでもなんでもなく 絶交するか遠ざけたに違いない。ロッキーのようなヤツがホントにいるのだろうか」

ということだった。20歳のオレにはそこが引っかかっていたのだ。

オレはE女のエピソードを聞いた時にそれがこのロッキーのシーンと重なり、積年の小さな疑問が氷解したように思う。そうかそういうことだったのか。あのロッキーのシーンはリアリティーにほかならない。マブダチからマニュキュア代200円をゴマかすセコサ。でもそれを遥かに超えるエネルギーを使ってそのダチのために不動産屋と渡り合う。人のいいロッキーを利用し小銭を稼ぎ、そしてロッキーの勝利を強烈に願う。

恐るべきセコサもダチを守る純粋さもどちらも矛盾なく共存しているミステリー。
絶対矛盾的自己同一。

「コッこれがラテン世界か。人間形成が日本人とは違う むむむむぅー」

その後、そのオレに近い日本人のオンナは多くのブラジル人の友達をもった。日系ブラジル人ではなかった。心配してくれ、助けてくれ、一緒に遊び、不慣れなところをカバーしてくれるのはブラジル人であることを、それも”ブルジョア系ブラジル人のオンナ”であることをオレはつぶさに見ていた。

−−−ロッキーは夢物語だ。でも描かれているラテン的人間模様はリアリスティックだ−−−

by フェリックス 2006年10月


タフでなければ生きていけない  モテル男
今に至るまでのオレの人生を区切ってみて、果たしてどの時代が一番エキサイティングだったか柄にもなく思いをめぐらしたとがある。小学、中学、高校、大学、東京でのサラリーマン時代、そしてブラジル時代−
ブラジル時代は現在進行形なので評価が難しい。ブラジルから去った後でないと歴史的評価は定まらない。でも、「高校時代」と「東京でサラリーマンをヤッテいた時」がエキサイティングだったことは間違いない。

高校時代は「青春」らしきものであり、同級のヤローどもとの付き合いが楽しかったという一般的な思いにすぎない。しかし、「東京でのサラリーマン時代」は日本のバブル景気がその後半に出現し、なんというか”ラスベガスの夜景を遠望する”ように光り輝いていてみえる。ナマイキなオレが会社に行くのが楽しくて金曜の夜に帰宅するとき”早く月曜にならないものか”と思ったことがあるくらいだ。

オレの高校時代とサラリーマン時代に共通する感覚は、その本来あるべき枠組みから考えると「異常なほどの自由」があったことだ。

サラリーマン時代に、オレはいろいろな経験をしたと思うが、経験ではなく”オレは間近で見たのだ”と断言できることが二つある。「モテル男」「信じられないほどの美女」である。

さて、オレはカイシャをやめるまで輸出部門に籍を置き最初から最後まで東南アジアを担当していた。それ以外にも欧州、アフリカ、中近東、大洋州などいろいろなセクションがあったがオレは最後までアジア担当だった。

それらの地域担当のなかで異彩を放っていたのが中南米セクションだ。中南米の市場は当時小さかったためにそのセクションの担当者はわずか4-5人であった。このセクションのオカシイところは、普通は2年に1回くらい人事異動があり担当国や地域が変わるのに、このセクションの連中だけは動かない。オレもアジアばかりとはいえ、セクションの人数が多く何度か異動した。担当国がかわるのだ。中南米の連中はまったく異動する様子がない。みなで仲良く中南米全域を担当している。オレが入社してから退社するまで同じ連中が担当し続けていた。

オレは、アジア以外の国に行きたくて何度も異動希望に「中南米希望」と記したのだが、ことごとく却下されアジアに貼り付けられた。どうも中南米の連中はマフィアを形成し、スペイン語を武器に「中南米は英語ではダメ、スペイン語ができなければ仕事にならん!」と、必ずしも真実ではないことを盾に他者の参入を排除していたらしい。彼らの多くはスペイン語を専攻していた。それを盾にとっていたのだ。オレはこの中南米マフィアがなぜこの地域の担当に固執するのかわからなかったが、なにか特別にいいことがあるに違いないと推測していた。

この中南米セクションにYというベテランがいた。オレが入社した時は中米のどこかの国に駐在していて、しばらくして東京に戻ってきた。学生時代はラガーマンでいい体格をしていたが、顔は真っ黒でちょっとねずみに似た目をしていてハンサムとは程遠い。しかしこのY氏が「中南米で伝説のモテ男」というウワサをいろいろ聞くようになった。

その話によるとこのY氏には

「中南米のオンナが枕を抱えて飛び込んでくる」

とのことで

「コスタリカで大変だった」

「キューバではなになに」

とか色々と聞いた。そのエピソードはお金を使って遊んだという類の話ではなく、海外営業部にゴロゴロ転がっていた”飲み屋のオンナがからむネタ”とは明らかに一線を画していた。

オレはセクションが違ったこともあってこの先輩であるY氏とはほとんど話をする機会はなかったのだが、「モテ男」の異名を聞いて興味を持った。決してノッペリした美男でもないし、表情が柔らかいわけでもない、どちらかというとムッツリした顔でおよそ「モテ男」に見えない。男クサイただのラガーマンに他ならない。ただたまに何かのきっかけで話をすると、どこか語り口にユーモアがあり、ネズミのような目が一瞬柔和になり、オレにはむしろオトコに好かれるタイプに思えたのだった。

やがてオレは、彼が中南米の代理店のオーナー連中からも信頼されていることを知った。中南米の代理店のオーナというのはみな大金持ちで、政商でもありヒトクセもフタクセもあるヤツラである。彼が駐在から日本に戻り中米某国の担当に復帰した時に、その中米の代理店は、彼の担当復帰までオーダーを渋っていて、Y氏が担当に復帰した途端に一挙にオーダーをいれたなどのエピソードも聞いた。

オレがもっとも驚いたY氏をめぐる話は、南米出張から日本に帰国する折の、NY−東京路線での話である。日本のどこかの大学の学園祭が米版PLAYBOY誌のプレイメイトを数人招いた。そして、そのY氏がプレイメイトと同じ飛行機になった時のエピソードだ。

プレイメイトの一人がY氏の隣に座わった。やがてY氏とプレイメイトは話をするようになり、このプレイメイトがこのY氏をすっかり気に入った。そのあと別のプレイメイトを次々と呼んで紹介し、最後は彼の席の周りに数人のプレイメイトが集まってパーティーのようになったという。そして成田に着いて降機したあと、Y氏は左右にそのプレイメイトをはべらせて記念写真まで撮っていた。

しかしそれを威張る風でもなく、自慢するでもなく、カイシャではムッツリとしているように見えるのだった。これらの話の多くは同行の商社マンなどから伝わっていた。

さて、しばらくして面白いウワサが耳に入ってきた。

「Miss.ドミニカが来社する」

という噂だ。

聞いていみると、オレが勤めていた会社のドミニカの代理店のオーナーのムスメが「Miss.ドミニカ」に選ばれたらしい。そして、シンガポールで開かれたミスワールドコンテスト世界大会に出た。その帰りに代理店のオーナーのムスメとして東京に立ち寄り、わざわざ事務所に表敬にくるという。ミスワールドコンテストでは7位に入賞したとのことだった。オレは「オオッ」と思ったがすぐ忘れてしまった。オレのセクションではないし彼女を見る機会もないだろう。

そして某日、オレは別のセクションへ行くために事務所のフロアーでエレベーターを待っていた。やがてエレベーターがきて「チーン」という音とともにドアが開いた。そこに−Miss ドミニカ−が乗っていた。

オレはなんというか、月並みな表現だが、息を呑んだというかドキっとして凍り付いていしまった。「目が釘付けになった」とはこのことをいうのだろう。言葉や思考を超えて、そのオンナの姿がダイレクトにオレの映像をつかさどる脳の中枢にスパッと入った。

それは美しい、見たことのない、非常に美しい特別な生物だった。長身で顔が小さくすばらしい美女であるのは疑いを得ない。ただその全身から発散している雰囲気と表情が単なる美人とは全然違うのだ。後光が差しているとでもいおうか、恐ろしく感じのいい穏やかな微笑を浮かべ狭いエレベーターの中にスッと立っていた。

World Class の美女というのは、別世界の美女であることをオレはそのとき身をもって知った。そうだよな、よく考えればオリンピックレベルのアスリートと同じだモンナ。オレは勇気を奮ってそのエレベーターに乗ったのだった。

さて、ここでY氏が登場する。Y氏は中南米の担当だから彼女の東京滞在中、アテンドをする「権利!」はある。しかし、このMiss.ドミニカのアテンドは、商社の担当者も参入し奪い合いになったらしい。最初はY氏、次の日は某大手商社の担当者、その後は別途協議で妥結。双方のアテンドが終わった後、Y氏に頻繁にこのMiss.ドミニカから電話がかかってくるようになった。「セニョールY、セニョールY」と何度も事務所に彼女から電話がかかってきたらしい。これはY氏と同じセクションの後輩から聞いた。Miss.ドミニカはY氏をいたく気に入り、東京での日々の中でY氏と過ごす時間が楽しいのだった。後輩によるとそれは「気に入った」というよりむしろ「好意を寄せた」という感じだったらしい。

オレは後日、Y氏にMissドミニカとYが一緒に写っている写真を見せてもらったことがある。そこにはY氏の小学生くらいの男の子も一緒に写っていた。休日に子供をつれてMiss.ドミニカと一緒に中華料理屋へいった時の写真だ。彼女はY氏の幼い子供をとても可愛がり、膝に乗せたり抱きしめたりしたらしい。

さてオレはなぜ、中南米マフィアが他者を排除しそのポストを死守するのか、その理由のひとつを理解した。

そうか中南米にはあのレベルの美女がいるのか−これはただ事ではない。

オレは中南米マフィアの牙城に単身!切り込むべく個人で語学学校に通いスペイン語を勉強し始めた。そして多くの学生同様、ラテン系言語の文法の関所”接続法”で完全に挫折した。

コレがオレが東京で見た「もてる男」「美女」である。そして、いまもってなぜY氏がなぜあれほどまで「モテル男」だったのかよくわからないのである。

−−−−中南米に美女は多い、そしてWorld Classは想像を絶している−−−−

by フェリックス 2006年10月


タフでなければ生きていけない  ブラジルはボルか?
東南アジアはヤバイ。

イミグレを通過しバゲッジを回収し、”大衆”のいるコンコースに一歩出たとたん、前後左右に目を配らなければないない。ココロのなかでアンチビールスソフトを起動させる必要がある。空港から町へ行くTAXI、いきなりヤバイ、いくら吹っかけてくるかわからない。旅行者のためのTAXIのチケット販売所のようなところでも、値段表などない。行き先をいうと「イクライクラ」というだけ。はたしてそれが決まった値段なのかすらわからない。降りるとき、「高速代だ」「バゲッジ代だ」とゴタゴタのネタは無数にある。

町の屋台でマンゴーを買ったとする。20円。屋台のおばさんにカットを頼む。支払う段になって 30円!なぜってカットしたからー

TAXIよりずっとボロイ「バイクTAXI」や「三輪TAXI」にのると、観光客と見るやTAXIより高く吹っかけてる。夕方、アジアでは町に屋台がでる。これがおいしい。旅の間ずっと屋台で食べることになる。アジアではレストランより屋台のほうがおいしいのである。ここでまたヤラれる。ワキで食べている現地の連中より高くとられるだろうと予想して食べている。「ウキウキしまくっている日本のオンナ二人組み」はカモネギ状態で大歓迎だ。

日が暮れてくる。”バトンルージュとパフューム”の世界が始まる時間だ。これからがボリ、ブッタクリ、フッカケ大会のオリンピックとなってくる。男の欲望がからむ世界だから、全世界共通、ヤツラにとっては一番つけ込みやすいパートなのだ。食いモノやタクシーのボリ、ブッタクリとはケタが違うハードパンチの世界だ。この分野では 「気が小さくて、大好き」 な日本のオトコは泣いて頼んでも来てほしいオイシイ客ランキングのトップは間違いないだろう。

では田舎にいったら? 素朴なのでは? ーそれは昔の話。

アジアのたいていの田舎には欧州の連中が必ず入り込んでいる。アリのようにどこにでもいる。だから田舎だからと素朴さと親切を期待して行ってもキビシイ現実にシラケル可能性が高い。

オレの見立てでは大都市ではバンコク、マニラがボリ分野の2大巨頭。香港、台湾あたりがこれにつづいている。赤丸つき急上昇中が上海とサイゴン。それでもオレが、アジアに精神的に深くエンゲージしているのは、この 「セコさ」 と 「インチキくささ」 が一種の文化になっていて面白いこともあるからだ。東南アジアは好き嫌いが分かれるだろう。でも東南アジアほど「一人旅」がキマルところは少ないにちがいない。

ブラジルー

確かにイメージ的にはヤバそうな響きだ。メキシコもヤバそう。メキシコは確かにヤバかった。空港でわかる。

しかしー不思議だがブラジルは 「ボらない国」 なのだ。オレの考えでは世界の ”観光客相手2大ボリブッタクリ分野” は、「乗り物」 と 「口紅と香水」 の世界なのだが、この2大分野でブラジルでボラれることはほとんど無い。

もちろんゼロではないが、とても少ない。マレである。今までのオレの経験で、TAXIで値段がおかしいと思ったのは一回だけだ。むしろ道に迷ったからと勝手に安くしてくれたり、オツリがないからとマケてくれたことが何度かある。アジアでこういう ”いい経験”はTAXIではゼロである、ボラれはモチロン何度もあるがー

ブラジルの「口紅と香水」の世界はどうか。オレはこの世界はほとんど知らないのだがー
で、詳しいダチにきいてみると、リオでもサンパウロでもボラれたことはないという。高い安いはあるが、それは店の値段であり「足元を見てボル」のとはまったく違うらしい。

リオのコパカバーナに直角に接続する道にがある。リオの大通り、派手なネオンサイン、黒服のドアマン、夜来る観光客はそれをバスかTAXIからみながらコパにはいる。そこに具体的にどのようなものが待っているかわからなくても、「口紅と香水」関係であることは余程の田舎者でない限り気づくだろう。で、瞬間的に「ヤバソー」と思うだろう。

普通の観光客の心理はこうだ。

ウオッ、派手ェ → これがリオデジャネイロかぁ → 行ってみたい → でもタカソー、ヤバソー → ブッタくられるかもしれない → いやヤラレルに違いない → 身ぐるみはがれるかも → おとなしくホテルで寝る

この感覚は持っていなければならない。決して間違いではない。一般的にこの判断は正しいと言わざるを得ない。

だがーブラジルではーボられない。リオのようなWORLD CLASSの観光都市なのにー

ダチによるとサンパウロでもおなじで、彼はガンガンどこでもイキナリ入っていくらしい。何故だろう、ブラジルはなぜ、この2大ボリ世界でボらないのかー

ーよくわからないー

欧州の文化か、観光行政か、ブラジル人がセコくないのか、 なんなのかーーー

今年の初めにリオからローマに行った。リオのガレオン空港までは、TAXIも通関もプロセスはすべてスムーズだった。ローマに着いた。照明や内装はモダンでセンスがよく 「欧州の空港!」である。しかし「スレている」オレは直感した。おなじ欧州の空港でもスキーポールやフランクフルトマインとは何かが違う。説明できないチガイだ。

”ヤバイ”

即アンチビールスソフト起動ー

空港を一歩出ると、身なりのいいオトコがよってきた。

「TAXIですかーどこまででしょうかー」

そして

「荷物が多いですね。あのVANでどうぞ」

ー普通のTAXIでいいー

「イヤ、値段はフツーのTAXIとまったく同じでございます」

モチロン値段は倍以上だ。空港でやたらに感じのイイヤツは全員ヤバイと考えるのが旅の原則なのだ。例えば、妙に感じのいい空港の両替所はレートが悪い。

オレはローマ空港のネクタイ姿の感じのイイー「TAXI親父」を無視して、長蛇の列の乗り場からフツーのTAXIに乗り市内に向かっていた。オレはハッキリと感じていた。

「ブラジルはイイ、ローマはヤバイ」

−−−ブラジルはいろいろ問題がある。 でもツーリストからボラないーーー

by フェリックス 2006年10月


タフでなければ生きていけない  クルマ 前編
オレは "モノ" が大好きだ。だからブラジル製のモノ、とくに工業製品は気にいらない。だいたいがチャチでボロい。だから使いたくないし買いたくもない。ブラジルに来て一瞬で日本とブラジルのモノの間に横たわる、気の遠くなるような品質の差がわかった。

”我慢をする” のが苦手なオレは ”我慢をしない” 道を即選んだ。莫大な?資金を投じ、服は全部、皿一枚、スプーン1本、タオル一本、果ては消しゴム、鉛筆にいたるまで日欧米から機会があるたびに大量に持ち込んだのだ。たが ”クルマ” だけは持ち込めなかった。

オレはガキの時からクルマが好きだった。イシゴニスのMINIが好きで、ゴルディニのアルピーヌが好きで、ピニンファリーナのフェラーリが好きで、Dブラウンのアストンマーチンが好きだった。ところがブラジルにきたら、見たことも聞いたこともない、古ぼけたトースターのようなダサいクルマが町中に充満していた。

ブラジルは国内産業保護のため、長いあいだ外資をいれず経済鎖国状態を続けたため、工業化で先進諸国に大きく遅れをとっていたのだ。90年代はじめに経済鎖国がおわりクルマの輸入が自由化された。オレがブラジルに住み始めたころは輸入車が市場に出始めたころで、売られているクルマはブラジル製のダサいクルマがまだ圧倒的に多かった。

ブラジル製とはいえブランドだけはGM、FORD、VW、FIATと世界の大メーカーの名前が冠されている。しかし、その売られているモデルは先進国のモデルとはまったく別物の、見たこともないシロモノばかり。オレにとってブラジルのクルマ社会は 「灰色の世界」 にしか見えなかった。アストンやポルシェの世界など三万光年かなたに吹っ飛んだ。

さてブラジルではクルマがないと ”普通の生活” ができない。この点アメリカとよく似ている。リオデジャネイロのような大都会ならまだ何とかなるかもしれないが、ゴイアニアのようなだだっ広い地方都市ではクルマがないとどうにもならない。

「まずクルマを手にいれなければならないー」

ブラジルにとっての輸入車、この値段を調べて見るとトンデモない値付けがされているのがわかった。
カローラやシビックが日本の倍以上の値段で売られている。輸入関税が高いのだ。日本の大衆車がブラジルではほんの一部の人しか買えない高級車として売られているのだ。バカ高いカネを出して、日本の大衆車にわざわざブラジルで乗る気はしない。ついこの間まで見向きもしなかったクルマだ。

欧州モデルは高くて手が出ない。BMWやMercedesは異常な値段であった。オレはその値段をみて「ロケットよりは安いナ」というイメージをもった。

となるとブラジル車しかないー

オレが思案をしている様子を見ていた相棒が

「ブラジル製の中古を買え、オレが中古車市に連れて行ってやる」

と言ってきた。そして次の日曜日、気乗りしないオレは、相棒とゴイアニアの大中古車市なるものに行くことになった。それはブラジル中西部でもっとも大きい中古車市というふれこみだった。

− 続く −

by フェリックス 2006年11月


タフでなければ生きていけない  クルマ 後編
その中西部一番の規模を誇る中古車フリーマーケットは、サッカースタジアムの駐車場で開かれていた。サッカースタジアムはブラジルのことだから、軽く十万人は入る規模だ。だから駐車場もやたらとデカイ。そこに業者や個人が持ち込んだ車が何千台と置かれていた。

最初はその規模に新鮮な印象をうけて興味を持ったが、売られている車は、やはりブラジル製ばかりだった。クルマ、それも乗用車の印象はまずデザインできまる。デザインが悪ければクルマとのしての価値は半減するのだが、その点でこの自動車フリーマケットもやたらにデカイだけでまるで面白くない。

しかし −何でもいいから車を買う− ことに決めていたオレは、気ものらないままクルマを見ていた。駐車場の端っこにオープンカーが ポツン という感じでおいてあった。そのクルマは白い色に塗られていて、幌は開いてある。フォードのESCORTだ。欧州を中心に売られていた大衆車で排気量2L以下、レンタカーでは下から二番目くらいのカテゴリーのクルマだ。欧州ではすでに型落ちのモデルだったが、それでもブラジル車のなかでは少しはマシに見えた。

オレはちょっとそのクルマに気を引かれ、シートに座ってみた。頭上には乾季のセラードの青空が広がっている。このクルマで郊外の牧草地帯をオープンで駆ると気持ちがいいにちがいない。

オーナーと話を進めるうちにとんでもない事実にぶち当たってしまった。アルコールを燃料とするエンジンだったのだ。

いまでこそブラジルが世界に売り込んでいるシロモノだが、10年前はその存在は一般には知られていない。オレはアルコールエンジンがブラジルで普及していることは知っていたが、自分がエタノールなる燃料で動く車に乗るなどと想像したことは一度も無かった。オレにとっての内燃機関はガソリンエンジンに他ならない。仕事で使う車はどうでもいいが、オレ個人で乗るクルマはガソリン以外は考えたことも無い。コモンレールでもディーゼルには興味が無い。ましてアルコールなど問題外だ。これは今にいたるまで変わらない。そのオレがそのデカイだけのフリーマーケットで、サトウキビの絞りカスで動くクルマを買う交渉をしていたのだ。

躊躇したが、まあ一度くらいいいかということでその車を買った。3年落ちですでに3万KM走っていて7200ドルだった。

アルコールエンジンとはいえ想像していたほど悪くは無かった。馬力もガソリンと同じくらいアリ、燃費はやや悪いがその分安い。冷え込むとエンジンがかかりにくいデメリットはあったが、それ以外実用での不都合は無かった。

オレがこのEscortで気に入ったのはトランスミッションのギア比がClose Ratioになっていたことだ。トルクバンドが狭くピーキーなエンジンで3−4−5速では頻繁にシフトダウン、シフトアップを繰り返さないとトルクが落ちてガクガクする味付けになっている。スポーツカー的なドライブをするには、エンジンのトルク特性をよく頭に入れてギアチェンジをする必要がある。それが面白いのだ。先進国では Close Ratioはすでにスポーツカーの演出の”古典的手法”にすぎず、時代は中速トルク重視のどのレンジでも運転しやすい味付けに変わっていた。ブラジルではその過去の遺物  Close Ratioがまだ残っていたのだった。

さて、そのEscortだが、晴れた日は幌をあけて頻繁にシフトを繰り返しながら事務所に行くのだが、それが楽しかった。フルオープンとサンルーフなどのスライドタイプでは、開放感がまるでちがう。当初はすぐ売ろうと考えていたが、このEscortには3年乗った。オレはその後アルコール車には乗っていない。

今のブラジルでは、メーカーもモデル数も増え、先進諸国とだいたい同じモデルを入れているが、そのラインナップは低所得層重視のためパッとしないし、相変わらずボロイわりに値段が高い。内装も野暮ったい。カラーも銀や白や黒ばかりでまるでさえない。FLEXというブラジル自慢のガソリンもアルコールも両方使えるエンジンを搭載したクルマにもオレはまるで興味が無い。

広角の眺めで気分のいいブラジルの中西部の道を、北米マーケットで復活が決まっているV8−OHVのDodoge Challengerで走りたいとオレは本気で考えているのだがー

それが実現するにはまだ時間はかかるだろう。

−−−− ブラジルのクルマはボロイ、でもClose Ratioが手に入るかもしれない−−−−

by フェリックス 2006年11月


タフでなければ生きていけない   男たちのアマゾンロマンチック街道
先週まで一週間ほどアマゾンに行ってきた。The Amazon Tocuhで企画した「アマゾンロマンチック街道」のデモツアーに行っていた。

「アマゾンはロマンチックなのです」 だとか、「アマゾンの風物詩を感じてほしいのです」とか 「アマゾンはやさしい」 などと説明し、トラベルエージェントの関係者を対象にした「アマゾンロマンチック街道」のデモツアーが成立したからだ。

アマゾン ”ロマンチック” 街道と銘うつからには、オレはこのデモツアーはオンナの参加を前提に考えていた。コースも細かくチェックし、季節を選び、蚊・ハエ・ブヨの類が登場しない、街と自然を組み合わせロマンチックという名前にふさわしいコースを綿密に設定した。そして従来のアマゾンの大自然の驚異、ワニそしてピラニアのイメージを一挙に覆しオンナにも十分楽しめる ”アマゾンはロマンチックだ”ーということを証明することを目論んでいた。

さて、デモツアーの日程が決まり、参加者のリストを作った。俺は東京トラベルエージェントの女性担当者、アメリカ向けの販売代理人候補者、アマゾンタッチのメンバーのオンナと三人のオンナの参加を想定していた。あとはオトコが何人来てもかまわない。でも 「ポイントはオンナだな」 と勝手に決めていたのだ。なにしろ ロマンチック街道だからなー

いよいよこのデモツアーの参加者の最終確認に入ったときだ。多忙をきわめる先進国からの参加だから、参加人員の増減はあるだろうと予想はしていた。しかし参加メンバーが最終的に確定しそのリストをみたとき
オレは瞬間的に

「ヤッパリ来たかー」と思った。

参加メンバーが全員 100%完璧にオトコだけだったのだ。前にも書いたが 俺の仕事人生で登場するのは全員と言っていいくらいオトコーばかりでオンナが登場するシーンはほとんど記憶に無い。ブラジルへ来てから仕事上の関係や付き合いもほぼ100%オトコだけ。東京時代よりむしろその傾向は強化されている。そしてオレは、その状態の継続をまったく望んでいない。オレは、このデモツアーで

「ついにオレのオトコオンパレード人生に終止符を打てる」

と密かに期待していたのだがー。

そのショックから立ち直ったオレはアマゾンでデモツアーの準備している相棒のSに連絡を入れた。

「ウエルカムドリンクのハイビスカスのナントカカクテルはやめ、ブラジル焼酎でいく」
「採れたてのピーコクバスの香草風味はやめ、肉でいく」
「デザートはカットだ。酒のつまみ強化だ」
「チリ産白ワインは中止。 ビールを大量に積み込め」
「質より量だ」


「どうしたんだ、何で変更なんだ?」

「参加は全員オトコだ、オレたちと同世代だ、ウルトラマンとあしたのジョーだ」

じつはおれは参加者リストをみたとき、オンナ不参加にについての軽い失望と同時に確信したことがあった。

−これは楽しい旅になる、間違いない−

このデモツアーのポイントは、木造平底船を借り切ってアマゾンを移動する点にある。小さい船ではないから、スペースは広く、メンバー以外の他人の視線を気にしなくていい。見られることもない。そして食料も好きなだけ積み込める。昼寝もゴロ寝も自由だ。料理のオバサンも入れた。洗濯もしてくれる。そこに酒の飲めそうな同世代のオトコが少人数があつまって、アマゾンを背景にクルーズするわけだから楽しいに決まっているのだ。なにしろオンナがいないから気兼ねが無い。

ただ一点おれが心配していたことがあった。それはオトコだけツアーによる”ボートの体育会の部室化”だ。オトコだけでボートに乗ると、これが高い確率で発生するのをオレは知っていた。以前企画した日米欧アドベンチャーツアーでモロ発生していたからだ。これは世界共通の現象なのだ。

さて、オレたちは ”ロマンチック街道” のコースを順調にこなしていった。透明なクリークにもぐったり、浸水林に入ったり、古い町を歩いたり、教会を見たりした。予想通りみな親しくなって楽しかった。旅も終わりに近づいたころ、オレは夕日のアマゾンを航行している船でシャワーを浴びてスッカリ気持ちよくなってデッキに戻った。

デッキではアマゾンタッチのメンバーのYがイビキをかきながら半裸でマグロのように横たわっていた。上半身ハダカでビールを飲んで居眠りをしているオトコもいる。着替えをしているオトコの見たくもないシリがモロ目に入ってきた。オレのトランクは半空きで下着などグチャグチャに詰め込まれ一部がはみ出している。ボートの天井のあちこちにタオルとかTシャツとかが引っ掛けてあって、風に吹かれてヒラヒラしていた。それを眺めているオレは下着ひとつでバスタオルを肩にかけ、足でトランクのフタを蹴り開けながら缶ビールのプルトップをプシューとちぎっていた。

オトコドモの表情はとても穏やかに見えた。それは昔通っていた高校の、真夏の午後の柔道部の部室の光景そのものであった。

−ボートで行くアマゾンはロマンチックだ、でもオトコだけでいくと部室になる−

by フェリックス 2007年1月

 

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