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ブラジルに住み始めてすぐのころのエピソードだから、今から十年以上まえのことだ。
仕事でリオデジャネイロに行き、夜友人とコパカバーナ海岸近くのグランドスタイルのナイトクラブに行った。ホステスが100人くらいいて、ショーもある、そんな感じのクラブだ。今はもうこのクラブはない。
大して面白くもないショーを見ながら、私は隣の座った20代前半くらいの白人の女の子ととりとめのない話をしていた。しばらくして、彼女がハンドバッグからやおら一通の手紙を取り出し、私に差し出した。
「何が書いてあるか読んでくれない」
と頼んできたのだ。当時はまだポルトガル語が不自由で、会話もそれほどスムースとはいかなかったから、会話を打ち切るタイミングもあってその手紙を何気なく手にとった。それは日本人男性からのものだった。
人の私信を読むことに少し抵抗があったが、隣のホステスが「何が書いてあるか知りたい、知りたい」とせがむし、正直のぞき見趣味もあり封筒から手紙を取り出した。そして、クラブの薄暗い光の中でその手紙を読んだ。それは便せん数枚に美しい字体で書かれていた。
彼女によると、差出人の男性は日本のある会社の工場の立ち上げのためにブラジルに短期駐在で来ていてー(だれでも知っている大メーカーだった)
その時彼女とこのクラブで知り合い、彼が駐在している間、ほとんど同棲同様の生活をしていたという。もう彼は帰国していて、彼の日本人の友人からこの手紙を渡されたらしい。この手紙は彼女宛てではなく、おそらく長期駐在でリオに住んでいる同じ会社の日本人の友人にあてたものだった。だから、手紙は日本語で書かれていた。なぜその手紙が彼女の手に渡ったのか理由はよくわからない。
その手紙には、彼が、このいま私の隣に座っているホステスと過ごした何ケ月がの月日がどれだけめくるめく月日であったか、それまで彼の人生には大きな恋愛も波乱もなく、何となく結婚し子供をもうけ平凡であったこと、ブラジルで彼女と過ごした月日のインパクトが彼にとってものすごく大きかったこと、そして日本に帰国してからも頭にこびりついて離れなくて、苦しくて切なくて、夜も眠れないこともある、ということが連綿と切々と訴えてあった。その封筒には一葉の写真が添えられていて、そこには彼と彼の家族が一緒に写っていた。写真で見る彼は、とても平凡な印象でまじめそうであり、決して大きな恋愛事件など起こしそうもない、40歳前後の田舎のオジサンだった。
彼女に彼との日々の様子を聞いていみた。土日は二人でどこかに遊びに出かけ食事を一緒にする。平日でも仕事が終わると彼女のアパートで会い、映画を見に行ったり
ショッピングに行く。そして、彼からプレゼントをもらい、彼女は小さなプレゼントを返すというー
つまり、普通の恋人同士のような時間を過ごしていた。そのような時間を過ごす費用は彼がすべて払っただろうが、彼女の家賃まで援助してくれたらしい。
私は前にも書いたと思うが、この種の話は、マニラでバンコクで、クアラルンプールでサンパウロで、そしてリオでよく見聞きしていた話だった。女に慣れていない、あまりパッとしない日本の男が出張とか駐在で ”手に入りやすい発展途上国のオンナ” にはまるというパターンだった。だからこの手紙を読み終わった後、一瞬
「間抜けだな、またウブな日本人の男が外国のちょっとSEXYな安っぽい女にたぶらかされて」
と反射的に思った。
しかし、その手紙にはそんなありきたりの皮肉な感想を否定するような一種の迫力があり、陳腐なストーリーを超えて心を打つなにかががあった。
それはなんだったのだろうー
彼は多分、その若い白人の女の子と結婚するとか、家族も仕事も捨ててブラジルで彼女と一緒に住むとかまでは本気では考えなかっただろう。一瞬頭をよぎっても、現実的にはほとんど不可能に近いことを、彼は彼女と過ごした時間の中でもよくわかっていたのに違いない。
苦しい心情を書き連ねていた彼はいまどうしているのだろう。そろそろ定年だろうか。人からどう思われようとこのめくるめく日々は、彼にとって幸せな、そして「HAPPY END」だったのかもしれないと思った。
「日本では起こり得なないあの素晴らしい、本当に素晴らしい日々」
をブラジルで経験できたのだし。そして、このオンナの子との日々を思い出す時、「現実には起こらなかったけれど、もしかしたら有り得たかもしれない人生」について想像することができただろうからー
さて、彼女がこの手紙を私に見せた本当の理由が最後にわかった。
「私、今 生活が苦しいの、彼に送金を頼む手紙を書いてくれない?」
私はそれには答えず勘定を支払い、湿気でムッとするリオデジャネイロの夜の街に出て行った。
by フェリックス 2007年9月 |